3月7日〜3月26日
これでもかというほど忙しい毎日だった。
いや、服のままソファーで気がついたら寝ていたとか、毎日4:30起きで仕事していた、とかではなかったので、これは、精神的な落ち着かなさと、慣れないことが多かったことが原因だったように思う。毎日毎日が、鉛のようで、明後日以降のことを考えると考えることが多すぎるから、目の前のことだけをひとつひとつこなしていた、そんな日々だった。
合間、父は喜寿を迎え、娘は卒園し、猫は2回病院に通い、私は同窓会があった。
50歳で死ぬと余命宣告をされていた父は、自分が70歳を迎えられるなんて信じられないし今日この日に横に妻がいないことも信じられないでいます、とスピーチをした。
娘が卒園することを直前になっても実感出来なかった私は、一週間前を切ってからは、寂寥感ではなく、うっすら恐怖感に襲われていた。卒園後の未知なる世界に対しての恐怖と、時間と実感の差があまりにも開いていることの恐怖。
それでも卒園式はやってきて、泣き所ではそれなりに泣き、謝恩会で夫は父親たちと連日体育館で稽古した出し物を披露。最後、園児たちが花道を作って先生たちを見送っている個所で、娘が泣くまいと真一文字に口を結び、四角い顔で涙しているのを見て、号泣した。
娘は、卒園した翌日に「卒園式、思ってたより、かなしかった」とつぶやいていた。
猫は食欲旺盛で元気、体重も3.1kgで下止まっているのだが、なにをどう投与しても、膀胱内の汚れがひどい。それらを流そうと、水分をたくさん取らせるために、朝だけ元の結石予防食に戻してみる作戦に出たが、下痢になったので慌てて整腸剤を投与、再び様子見となる。
卒園しても、今月中は幼稚園の預かり保育に通っている。
卒園児たちは、もう園規定のバッグ以外で来てもいいことを知って、さっそくオシャレ好きの子が、派手でかわいらしいリュックサックを背負って来た。それを見た女児たちが、私も明日はリュックで来るー!!私もー!!と沸いており、娘も明日からはピンクのリュックサックで行くつもりらしい。
そんなことがおとなっぽく思えてうれしいの、すごくよくわかる。
来週になれば、新しい学童、新しい習い事、小学校が始まる。
スイミングも来月からは背泳ぎを習い始める。
まったくどうなってしまうのだろう。未だ防災頭巾カバーを縫い終わっていない。仕事もレシートも山積み、録画したものも溜まりまくって、HDDはついにあと20時間しか録画できない状態になってしまった。