榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

シナリオライター/文筆家/お仕事の依頼はtoriko.haibara@gmail.comまで。


7月12日〜7月24日

もう一ヶ月も日記をあけてしまっていたように思っていたが、2週間も経っていなかったことに驚く。

そのくらい、いろいろと、雑多な、ありふれたことがたくさんあったし、でもなによりも日記を書けなかった原因は、単純に書斎にエアコンが設置されていなかったせいだ(おかげで仕事も滞った)。去年までは夏でも朝、山肌に面した書斎は涼しく、扇風機でしのげていた。今、これはエアコンが設置された隣室の、子どものおもちゃに囲まれたちゃぶ台の上でタイプされている。あぐらをかいた膝の上では猫が丸くなっている。やる気はぜんぜん出ないが、一度朝に仕事をしようと赴いた喫茶店でクーラーの効き過ぎで腹痛を起こして、以来、あたらしいこの環境に慣れるべく奮闘している。

 

娘は夏休みに入った。

楽しみにしすぎて終業式で鼻血を出したほどだったので、よかったねと思う。

宿題の、あさがおの花の観察日記(1枚)をすませてすぐ、彼女はサマーキャンプに出かけて行った。私はこの宿題をやったことがない。あさがおの鉢を、親が小学校から持ち帰ってきて新学期にまた親が持っていくというシステムにも驚いた。

 

娘がキャンプに行って、夫の出張も重なって、とつぜん一人になったので、夕飯は銀ダコを食べ歩き、「カメラを止めるな!」の夜の回に滑り込む。諦めていた話題作が、川崎でやっていたのだ。

本編では何度も笑って、エンドロールのメイキング映像でなぜか泣けてきて、客電がついてからは羨ましさでいっぱいで、そんな感情を抱くほど自分はなにもしていないということに恥じた。監督が「新人で低予算だからできた作品」とツイートしていたのを見かけたけれど、そうなんだろうと思ったし、こういうものが、たくさん観られたらうれしいなぁと思った。日本映画を見て、こんなに軽くてハッピーな気持ちになれたのは久々だった。

 

本は、たかのてるこの「あっぱれ日本旅!」のみ読了。たかのてるこの紀行文は全部読むと決めている。

 

あとはなにがあったか。

 

小学生新聞のネタに投稿を続けるハガキ職人の娘のシュールなネタが、はじめて掲載された。

 こういうのに投稿する子っているんだな、と思っていたが、載ったりするんだな、と驚いた。

夫が「パパはずっとこういうの投稿していてはじめて載ったのは中学生のときだったから、すごいな〜!」と言っていたことにも驚いた。根気がありすぎる。

そういえば昔、夫が雑誌「ぴあ」の「はみだしぴあ」というページの端に縦書きで載るネタ投稿欄に載ったことを喜んでいたのを思いだした。完全なる夫似の娘。

 

それから、母の三回忌があった。

去年の一回忌は、お蕎麦屋さんの座敷を貸し切ったのだが、それが2階にあって叔父叔母がみな膝が厳しかったのと、寺からの徒歩移動が暑くてかなわなかったので、私と妹が、来年はお寺の座敷でお弁当にしてくれと父に頼んでいたのを奇跡的に父が覚えていて、というか、本人がいちばん歩けないので、館内移動のみの涼しい法事となった。メンバーも、母方の叔父叔母とイトコ、あとは家族だけだったので、気楽だった。

 

母の葬儀で、払子の毛をロウソクで燃やしかけた(煙があがった…)高齢のご住職は、一回忌には別の方に代替わりしており、そのときのお話はポップでとても楽しかったのだけれど、1年でなにがあったのだろうか、今回彼は泣かせにかかってきた上「七回忌もぜったいにやれ」と暗に言わんばかりの説法であった。

5kg痩せた妹は、急に顔が老けたことを嘆いてまわりに相談していた。イトコも私も「運動しかないんじゃない?」と言う。

「仕事中ずっと頬杖ついてるから、こっちだけあがってて、こっちは下がってるの」とひどい態度を再現しながら言う妹に、「じゃあ毎日右左変えて頬杖つけば」と言いつつ、あとは美顔ローラーとか?と、その手のことを一通りやっている母の妹である叔母に、いちばんブルドッグラインとかほうれい線に効くのはなにかと尋ねた。68歳でフェイスラインの下がっていない叔母の答えは「PAO」であった。あの、スキー板みたいなのをくわえる美顔器具だ。あれかーーーーと深く腕組みをする喪服の40歳超え、女3人。

 

父は、先日妹が言っていたとおり、衰え方がすごかった。4ヶ月で、10歳は年を取ってしまったようだった。正座から、机に手をついても立ち上がれずに、両脇を叔父と叔母に支えてもらったが、生まれたての子鹿のようにガクガクになってしまって、なかなか立つ事ができなかったのを前に直視が憚られて、目を伏せた。

歩いていても壁に手をついたりして、たちくらむようだった。

それなのに4度も煙草を吸いに行っていた。喫煙所でアイコスをくわえた妹に、お父さん煙草やめなよと、とうとうと説教されていたが、まるっきりスルーしていた。

私はただ、娘の仕事として、父の短くかりこんだ髪型を褒め、頭の形を褒めた。

 

墓参りでは父が花を買ってくる時間をなくしたとかで花がなく、そんな法事って!と責めたが、まわりをぐるっと見渡すと、榊が入ったところをいくつか見ただけで、花を生けている墓がまるでなかった。東京のお盆は7月なので、異様な光景だった。暑くて、すぐに切り花がダメになってしまうのだろう。都会の狭小墓場は墓石の列の間が狭く、熱をためこんだ墓石の間で並んでいると、岩盤浴に来ているかのようで、くらくらした。

 

暑さのせいか、シーズンでひっちゃかめっちゃかなのか、お坊さんに渡した霊前に供えるためのお菓子は戻って来なかったし、お弁当とお吸い物が先に来て、飲み物の到着が遅れ、献杯ができなかった。

父が挨拶をし、食事をはじめ、ようやく飲み物がきて、ノンアルコールビールも美味しくなったものだねと、キリンの零ichiをグラスについでいると、夫が「あれっ…献杯は…?」と言って、ハッと見ると、父がぜんぜん飲み始めており、みんなの視線に気づくと、母の写真に向け「献杯☆」と言って、また飲んだ。みんな苦笑して、それぞれめいめい、写真に向けて、グラスを掲げる。母の舌打ちがここでも聞こえてきそうだった。叔母は、「優子さんにノンアルコールじゃ怒られちゃうわね」と、ビールをグラスに注ぎ、写真の前に置いた。母は、人が水を飲むようなタイミングでビールを飲んだ。水を飲まない母がお茶を飲むのは、日本酒のチェイサーとしてだけだった。

 

帰宅後、イトコはとつぜん39度を超える高熱を出し、うなされて「もう上に挨拶したから大丈夫だよ…2人分しておいたから…お塩持ってきて…」とうわごとを繰り返し、彼女の夫を怯えさせたという。いったいなにに憑かれてしまったのだろうか。

 

いつかは、と思って、それに備えていろいろと準備せねばせねばと思ってはいても、いろんなことが勃発して、なかなか行動にうつせない。

継続している仕事のすべて、とうとう終わるタイミングが来るようだった。

そういう連絡が昨日来た。猶予期間はほんの少しだけあり、また、ミラクルが起これば継続となるだろうけれどたぶんそれは無理だろう(と、言われた)。

 

ゼロになるのは久しぶりで、蓄えもないのでそれなりに焦る。

同種で営業をかけまくるか、違うことをやるか、宝くじを買うか。

全部やるべきか。

しかし、時期が悪く、なにしろ夏休みは始まったばかりで、今も子どもがべったりと横に張り付いているのだった。

宝くじしか買えない。