榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

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11月9〜11日

9日

雨。夕方、雲の切れ間の穴からのぞく夕焼けが、巨大な目のようだった。

ネットでレンタルした留袖とモーニングが届く。

小物は安っぽいが着物はわりといい。広げてみて、しまったと思う。衿に比翼がついているのだ。いや、ついていることが正しいのだが。

第一礼服である留袖は、十二単の名残で、かつて、薄くて白い着物を中にもう一枚着るものだったのだが、今はそれが簡略化されて、重ね着風に見えるように中に白い布が仕立ててある。それを、比翼仕立てという。やっかいなのは衿で、通常、衿は折りながら着るものなのだけれど、それを二枚分、別々に折りながら着なくてはならず、かつ、この白い衿のラインがビシッと入ることが特徴なので、だぶついているとかっこわるい。なにしろ留袖など着るのははじめてだから、ああ最初からわかっていたなら、義妹に式場での着付けの有無を聞かれた際にお願いしたのに…と悔やむ。

ネットで確認し、伊達衿の時のやり方といっしょなので、比翼ははじめてだけれどそれならなんとかなるだろう、なるなる!と自分を鼓舞。

 

 

10日

信じられない暑さでTシャツで過ごす。

着物のある和室の散らかりがひどいので、片付けて掃除をし、着物に合わせて帯と帯締め、帯揚を選ぶ。

留袖の帯揚げは白、帯締めは金糸銀糸の入った白、帯は金糸銀糸ベースの袋帯と決まっていて、選ぶのがとてもつまらない。着物のいちばんのおもしろいところが奪われた感じだ。しかし、こんな時でもないと締められない派手な袋帯があったので、それをしめる良い機会だと思うことに。帯揚げも、しめたことのない、白の絞りにする。

 

母の家から引き上げたものの整理がまだ完全にはついていなくて、いろいろな箱を開けていたら、娘が3歳の時にあんなに探しまわっても出てこなかった、私と妹とイトコが着た七五三の着物が、ひょいと出て来た。まるで来週の七五三に着てくださいとばかりに。不気味なことこの上ない。一応娘を呼び寄せて、着させてみて、丈が足りないことを確認し、箱にしまう。母もこれで納得してくれるだろうか。

更に見たことのない箱に、見たことのないいかつい金糸銀糸鳳凰柄の草履とバッグのセットが入っていたので明日使わせてもらうことに。

 

留袖の着付けの練習を2回する。比翼の衿がやはり難しい。 身体が硬くなってしまったせいか、腕力の問題か、刺繍が多すぎるせいか、二重太鼓もお太鼓の上が平らにならない。

夫に直してもらえばいいか、とつぶやいていると、「式場で頼めば良かったのに」と言われてイラーッときた。はじめから留袖だとわかっていたら頼んでいた。

 

ネットで、亭主元気で留守がいい、を、ことわざだと思っている人がいることを知る。

 

11日

義妹の披露宴、親族は9:30には行かなくてはならなかったので、5:30に起きて支度をし、7:30に出発した。

あちらの親族はこちらの4倍来ており、皆さん当然着付けてもらったようで、私の着姿はご年配の方々の自分で着られてご年配だから粋だなという着姿の色留袖チームに入るな…と自己採点。

そう、色留袖。色留袖も、訪問着もいる。義母から、親族の女性は皆黒留袖、男性はモーニングと決まったので、と聞いたのだけれど、ふたを開けてみれば、モーニングを着てきているのは、新郎の父と、夫だけであった。留袖を着ておられるのは、義母と新郎のお姉様、新郎のご親族の方若干名のみである。あちらのお姉様の旦那さんは普通にスーツであったし、夫のもうひとりの妹は和服ですらなく、夫婦でワンピースとスーツだ。

義母の勇み足か…?といぶかしんでいると、どうやら義妹は義母に着ない旨強く言い放ったそうで、しかも別段、場の雰囲気がそれでも全然かまわない感じであったので、うらやましかった。

まあ、もしかしたら一生着る機会ないかもしれないし、コスプレだと思って…と、ハロウィンのバンパイアの仮装みたいになっている夫と二人、娘に写真を撮ってもらう。画面には、強烈な両親感を放った我々がいた。

 

式と披露宴は、余興など一切ない、なごやかで大人っぽい、スマートなもので、色白で肌のきれいな義妹は貴族のように気品があり、美しく、夫は何度も泣き、ビデオメッセージには、「こんなにキレイな妹が見られるとは思っていませんでした」と言っていた。

 

バージンロードを見ながら号泣する夫のそばで、自前のカメラで写真を撮りまくっていた娘がふと私を振り向いて言った。

「私の結婚式にも、ママ来てくれる?」

もちろん、と言うと、よかった、と言って、私の手をにぎる。なにが不安なのだろう。「でもあんまり遅いとママ生きていないかも…」などと余計な冗談を口走りながら、元気で長生きしたいなぁと思った。