榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

シナリオライター/文筆家/お仕事の依頼はtoriko.haibara@gmail.comまで。


11月17日

友だちの家に遊びに行く娘、町内会のお祭りにいっしょに行くことになっていたので、おまつり用のお金500円を渡す。決して貸したり借りたりおごったりしないことを約束。

娘を送って、夫が出かけ、私も東京へと向かう。

 

妹から父に関してLINEのメッセージ。昨日の検査で肺に黒い影があると言われ、父は「それは20代の頃からあってなんでもない」と言ったのだけれど、今日になって結核の疑いが出たので個室になったらしいとのこと。結核って!お見舞いできるのだろうか。

要塞のような渋谷駅の地下道をさまよいながら転職会社になんとかたどり着く。

 

こじゃれたオフィスの中、担当者は若く、清潔感のある顔の小さな昔ながらの男前顔で、まっすぐこちらにさわやかな顔を向けているのだけれどその黒目が私をつぶさに値踏みしているのがわかる。

時間は1時間を予定しております、と、彼が話に入ろうとしたところで、その前に、と、こちらの事情をお話しし、諸事情で社員になることはできないこと、フリーとして業務委託の仕事が見たかっただけなことを話す。だんだん卑屈めいたことまで言い始める私の話を、彼は最後まで黙って聞き、それではとにかくお問い合わせの件と他の業務委託の仕事を持ってきます、と出て行くと、3件の仕事を紹介してくれた。職務履歴書を作れば先方に私の書類を送ってくれるそうなので、そうですかといって、とりあえずやってみることにした。

少し黙ったのだろうか、なにか?と聞かれたので、「あ、いえ、なんか…申し訳なかったなと思って」とこぼした。彼らは、完全成果報酬なのだ。担当の社員は少し面食らったようで、その狼狽を見て、あ、今、ようやく人間ぽい、と私は思った。

予定の1時間を30分も短くして、私の面接は終了した。

 

渋谷から神保町に出て、お茶の水まで登って行く。

母は小学生から結婚するまで駿河台で育った。私が小学校低学年ぐらいまで祖父母はそこに住んでいたので私もよく泊まったし、今も覚えている。

お茶の水は更に、父がもう50年近くかかっているかかりつけの病院があり、そこは母が闘病し最期を迎えた場所でもあり、私がかつて4年通った専修学校もそこにあった(今はもうない)。

それだけのなじみの場所なのに、いつ来ても、なんの感情も生まれない。不思議だ。

 

踵のある靴、歯ブラシセット、フェイスタオルを買っていってあげて、全部院内のコンビニに売っているよ、と妹に言われていたので病院内のコンビニに行くも、知っていた場所にはなくなっていた。別棟のコンビニに行くと、ずらっと売り物の松葉杖が壁にかけてあるのが目に入って、ああお見舞いに来たなと実感する。靴なんかあるのか、と探すと、院内用のスリッパしか売っていない。踵のある靴ないけど、と妹に言うと、あれ、昨日あったよ、と答えがくる。しばらく考え、「踵があるって、ヒールとかのように高さがあるって意味じゃなくて、いわゆるスリッパタイプじゃなくて踵をガードする部分があるって意味?」と尋ねると、そうそう、と言う、日本語は難しい。ところが今度はサイズがない。店員に、新しくナチュラルローソンが別棟の地下に出来たのでそっちだったらあるかもしれないです、と聞き、道順を聞くも、完全に迷う。仕方がないので受付まで戻って聞いてようやく到着。焼きたてのパンまで売っている広いナチュラルローソンの中で、靴のサイズを見つけて購入。しかし、今度は病室にたどり着けない。A棟B棟のルールがよくわからず、B棟と思って行ったのがB病棟で、という有様。更にエレベーターの乗り場を間違えたのか、目的階まで行かない。歩いている医師を捕まえて尋ねて該当のエレベーターホールまで連れて行ってもらった。

 

やっとの思いで到着すると、看護師から見た事もないような分厚い使い捨てマスクを手渡された。

付け方も通常の両耳にかけるタイプではなく、横に二本渡されている太いゴムをかぶるかたちだ(ガスマスクと同じだ)。

 

父はいつものようにベッドにねっころがって、大きな音量でTVを見ていた。

個室だとTVタダなの、と、ニヤニヤする。

へえ、よかったね…と答えると、さっそく買い物を頼まれる。

麦茶、シェービングセット、洗顔石けん。

「ポンプ式のやつでもいいの?」

「なんでもいいけど、小さいのでいいよ、そんなに長くいるつもりないし」

 

売店は、エレベーターさえわかってしまえばすぐに行って帰ってこられた。

ありがとと言って、父は、古希祝いをした中華料理屋に正月行きたいから予約しといて、と言う。

今日やっとおかゆを食べて、明日も全食おかゆの予定で、今、起き上がれてもいないのに?と驚きつつも「まずはお正月いつからやっているかを聞かないとだね」と話を合わせる。

話していてわかったのは、とにかく、父が、今回のことを、とても軽く考えているということと、すぐに回復すると根拠なく思っていることだった。

 

父の話に合わせながら、これからの話はまた今度にしようと思った。

それでも、帰り際に、今度また意識がなくなった時のために、と、カードの暗証番号と、いざというときに連絡する人のことを聞くと、すんなり教えてくれた。

「入院中もちょいちょい身体、動かすようにね、寝たきりになったらたいへんだから」

とサラッと言うと、父も、夏に動かなかったからなぁと言う。

 

「去年も同じようにして、夏終わりに体力なくしてたけど、その後回復したから、今年も同じと思っちゃったんだね」

 「やっぱり年とってるんだなぁ」

 

看護師さんに、明日妹が来ること、私は水曜に行くことを言うと、結核の検査結果を踏まえ、先生とその時お話をするということになった。

 

疲労困憊で帰宅すると、夫がはじめて揚げ物に挑戦していた。

二人で巻きカツを作ったらしく、とても美味しかった。

しかし、娘のおまつりの話の中、似顔絵も描いてもらったんだ〜と、色紙を出したときに、え、その似顔絵、無料だったの?と聞くと、娘の顔がさっと青くなり、友だちのお父さんに500円ママ返してくれる?と言いだした。

友だちが描いてもらっていてどうしてもうらやましくなっちゃったのと言い出したので、約束したじゃないかと烈火の如く怒り、色紙を膝で叩き折りたい気持ちをおさえ、慌ててあちらのお母さんに電話をして謝り、再び娘をきつくきつく叱る。

 

泣きながら夫と寝室に向かう娘を見送り、父の状態に関してあれこれ検索しているうちに、嫌な予感がして物干し台にあがると、やっぱり洗濯物が干しっぱなしだったので、壁を蹴りつける。どいつもこいつもなんなんだよ。

 

明日が七五三のお詣りだなんて嘘だと思いたかった。