榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

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3月29日・30日・31日

3月29日

江の電から見える海は凪いでいて、呼吸する大きないきものの皮膚のよう。

 

妹に、父の様子はどうかと連絡すると、「あ、お父さんのこと忘れてた」と返信。妹は卒園アルバムの制作にきりきり舞いをしているのだ。

今日で13年間通い続けた保育園が終了したという。心からおつかれさまを言う。

 

少し経って、「用事もあったからお父さんに電話した」と妹からメッセージが入る。

とりあえず退院時期はまだ決まっておらず、この前胃の内視鏡をしてそちらは大丈夫なんだけど、検便でひっかかって今度大腸の内視鏡をやるとのことだった。

大腸の内視鏡検査は、外来の予約をとっては入院して流れていたので、入院中にやってもらえるならありがたい。

 

 

 

3月30日

久しぶりにお店が落ち着いていて、着付師さんたちとお菓子を食べながら雑談する暇があった。

京都出身のひとに「いきしに」と言われて、「生き死に?」と思ったら、「行く」という言葉の方言だった。

行きしに、帰りしに。「帰りしにパン屋による」みたいにつかうそうだ。帰りしな、みたいなことなのかな、と想像するが、ニュアンスが少しちがうような気もする。

 

妹づてに、4月3日に父の大腸の内視鏡検査をすることが決まり、退院はその結果で決まることになったと連絡が入る。

 

ようやく録画していた大河ドラマ「いだてん」を全て観て、中村勘九郎のことを、すっかり好きになっている。今まで、舞台など見てきて知っているはずなのに、「こんな役者が日本にいたのか」と感動している。こんなにすばらしいものがチケット料もなしに観れるなんて。

娘は階段を上り下りするときでも、スッスッハッハ、といった呼吸しているので、そのたびにわたしは「四三さん!」とすっとんきょうな声をあげる。

 

3月31日

今日から9日までバイトはお休み。

妹が9日までは色々と都合がつかないので、なにかあったら父の病院にいつでも行けるようにというのと、娘が春休みで、民間学童にまる1日預ける料金は私の1日のバイト代とあまり変わらないので。

 

下高井戸に家族で出向き、商店街の桜祭り、チアダンスを踊る友人たちのステージを見てから、友人の喫茶店に行く。

あたらしく若い女の子のバイトが入っていて、カウンターごしに、古いドラマのようでおもしろい。マスターである友人と夫と、カープのユニを着た知らないお客さんは開幕したプロ野球についてウキウキと話していた。

 

アイスオレを楽しんでいると、マスターは、とつぜんカウンター下からデジカムを取り出し、無言で私に手渡してきた。え、なに、といって画面を観ると、東京ドームの外観。え、ま、まさか、これは…!!と言うと、マスターは大きく頷き、行ってきたんだ、と胸を張った。

いそいそと画面を送ると、ピンボケの51番が写っている。

この日のためにこのカメラを買ったんだ!と言っているが、とにかく送れど送れどピンボケの写真がつづき、時折意識が戻ったかのようにピントが合うのだが、かの背面キャッチがボケていたときはさすがに怒りの声をあげた。

2試合ともチケットが当たったというので、うらやましさよりも、しみじみ、観れて良かったね、と心を寄せる。

菊池雄星が泣いていたけど、俺のほうが泣いてたよ、とマスターは親指で自分の胸を指して威張っていた。