榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

シナリオライター/文筆家/お仕事の依頼はtoriko.haibara@gmail.comまで。


6月20日

刃物を持って逃げた男が厚木にいるらしいというニュース。

現地周辺の小中学校は休校に。

段々こちらに近づいているようで不安になりながら、お茶の水へ。

敷地内で迷子になりながらたどり着いた医科歯科病院のエレベーターの中で、「いきさわやか外来」などの文字列を見ながら、入院病棟で父を探す。

 

午前中に手術開始の予定が、13時になり、更に着いてみれば1つめの手術が難航していてはじまるのが14時はすぎる、とのこと。

娘を迎えに行かないとならないので17:30にはここを出ますと伝えると、先生は、もしそれに間に合わなければ結果は電話でご連絡しますと応えてくれた。

今日の手術について、先生から説明を受ける。先生は5年前の父の舌癌の担当医だ。

「ご本人の説明によると、今年頭の手術をされた後、後遺症によりふらっときて転倒なさって顎を骨折したそうで…」

父の好都合な記憶違い。正式には酒を飲み過ぎて12月頭に顎を骨折してから、年明けに脳の手術だ。ともかく。

「その顎の骨折が未だ治り切っていなくてですね、ひび状態になっています。これ自体は数ヶ月硬いものなど食べなければ大丈夫だと思うのですが、今回、敗血症で入院された原因が親知らずの虫歯にある疑いがありまして、抜歯をするにあたり、すっと歯が抜ければなにも難しい手術ではないのですが、ひびが入っているため、抜歯中に骨折してしまう可能性があります。そうなると、顎にプレートを入れる手術をその場でしなくてはならなくなるので全身麻酔をすることになりました」

なるほど。

先生からの説明を受けた後、書類に捺印をし、父に促されてコミュニティールームへ。

まってましたとばかりに父は、くしゃあっと笑顔になって、娘は元気?習い事いまなにしてるの!?と聞いてきた。その笑顔があまりにも、あまりにも毒気がないのでこちらも脱力してしまい、澱が、さあっとながれて、もう、お父さんはしかたがないなぁ、とため息をついて娘のことを話したあとは、ゴールデンウィークに妹家族と遊びに行ったときの動画を見せ、備え付けのTVで流れた逃走犯に文句を言い合い(そこには看護師も加わって)、今年の夏はまたキャンプに行くのかと聞かれてから家族旅行の思い出話、この前もらった竿で釣りをしたことから父の釣り自慢など、とにかく、父は元気いっぱいで、「いやあ最近ほんと飯をよく食うんだよ、何キロか太ってさ、カラオケで声も前の3倍は出るね」と言う。

「カラオケ・・・スナックか!まだスナック行ってんの!」と責める私に、でへへへへ、と笑って「でも煙草は辞めたよ」と言い訳をする。

「あと、俺デイサービス辞めるから」

「え!!!! やめないでよ!!」

「いや、それがさ、俺、要支援1から、要介護1になったんだよ!」

「なに笑顔で言ってんの」

「いや、だからさ、いろんなサービスが受けられるようになったってことなんだよ」

「要介護になったひとは、よりデイサービスが必要なのでは?」

「デイサービスをやめて、ヘルパーを週2回に増やすことにしたから。そうすると洗い物しなくていいし。俺…皿洗いが面倒でさ」

「みんなそうなんだよ」

「あと、洗濯を畳むのが面倒。でもそれも、畳んでしまってくれるわけ」

「あのね…みんな、面倒だから人に頼んでいるわけじゃないの、できないとか、困難だから助けてもらうわけ。でも洗い物面倒ならさあ、デイサービスはごはんも出してくれるし…」

「もう、それがもう、まずいの!!あ、ちなみに、この病院の飯、うまかった!」

「よかったね…」

「いやあ、デイサービスは俺にはまだはやいよ。も、すげーんだから、いるジジババが…俺まだあそこまでじゃないよ。風呂だってさ、大浴場とかじゃなくて、ふつうの風呂、なのにあれ、前のじいさんが入ったまんまを入れさせられてんじゃない?気持ち悪くってさぁ」

「じゃ、お風呂どうすんのよ」

「それでこの前一人で入ってみたんだけど、家で」

「危ないじゃん!!!!!」

「それがぜーんぜん。ふつうに入れたのよ」

「だって転んだら…開頭手術やってるひとが」

「大丈夫大丈夫。傷ぜんぜんわからないでしょ」

父は丸めた頭をこちらに向ける。

「たしかに傷はわからないけど…すごいね医療技術って。でもそういう見た目の問題じゃ」

「傷跡のところだけ髪の毛の生え方がバラバラだから、一回髪切ってさ。夏になるし」

「出家すんのかなと思ったよ」

父は膝を叩いて大笑いする。こんなに元気な手術前の人いる?

近くに甘味処が出来たから週2回くらいあんみつを食べちゃうんだよ、それからクロワッサンの店ができてそこのミネストローネがうまいからランチでよく行くんだ、とはじまってそこから、昨日の夜から絶食させられているのもあって父は食べ物の話ばかりしていた。

結局、16時に手術が始まることが決まった。決まった瞬間、病室のベッドに腰かけていた父は、両手の親指を立て、両膝と両腕を漕いで「イェイ、イェイ、イェーイ!」と喜んでいて子どものようであった。

親の手術に何度も立ち会っているが、今回ほど気楽な手術もない。

娘と携帯でやり取りしながら、塾に無事に着いたことも確認してホッとする。

今日は塾いってんの、と聞かれ、自分で行きたいって言って行ってんのよ、と答えると、「なんていうか…そういうとこ、お前に似てるなぁ」と父。

「小さい頃、お前も、とつぜん教会に行きたいって言って、通ってたもんなぁ」

驚愕する私。

「なんか、何回か教会に行った思い出はあるけど…え、なんで私教会に行きたがったの?」

「いやぁ、なんでだかは知らないけど」

そこ、知っててほしい。

 

「お前とかお母さんとか××ちゃんは、やると決めたら、なにがなんでもやるんだよなぁ。俺とか××(妹)とかは、そういった我の強さみたいなの、ないからなぁ。俺はさ、基本、なんでもいいから。やりたくないことはやらないだけ」

 

上機嫌な父は、今度から誕生日とかクリスマスとかちまちましたのはやめて入学祝いを出すことにしたからどうのこうの、お年玉は高校生はいくらで中学生はいくらにしよう、いいや××ちゃん(娘)だけは来年からずっと1万円にしちゃう、俺がこんなに長生きするなんて誰も思わなかった、病気になってから50年だぜ、××ちゃんの結婚式は観れるかなぁいや無理だな、大学の入学は観れるかな?あと10年ならギリいけそう?

もう1年がんばって妹のとこの三男坊の大学も見届けなよ、と言うと、父はカハーッと笑った。

 

 手術室に向かう父を見送って、少し外に出て、病室に戻って本を読んで待った。

17:40まで待って、出ようとすると、看護師さんに、今お父さん戻って来ます、と止められた。

事情を知らない遅番の彼女たちは「待合室でおまちください」と言うので、私もう帰らないとならないと言うと、「じゃあ今話せますから話しかけてあげてください!」と冷たく一瞥された。

ストレッチャーから病室のベッドにうつされた呼吸器をつけてハアハアしている見慣れた父に、「がんばったね、じゃあ帰るからまたね!」と言い、父も「ありがと」と片手をあげた。廊下を早歩きする私に執刀医が追いついて、顎も割れずに抜歯することができたことを伝えてくれた。

 

走って電車に飛び乗って、時間に間に合うことにほっとしながら、妹に報告。

7月にお土産を渡しに行くことになっていた話、この日はどう?と切り出すと、今回はうちが下2人を連れてお姉ちゃんの家に行っていいかと返事が来た。「うちだと上の子の受験でゲームもできないしさあ」

妹が家に来る!!!!!

5年前に一度来たきりの妹が家に!!

もちろん、全然いいよ、うれしい!!

 

オリンピックのチケットは全て外れた。

妹の家は、サッカーが当たったようで、ご褒美感すごいなと思う。