11月25日
通夜にも葬儀にも時間が間に合いそうもなくて、香典と弔電を迷って、線香つきの弔電を斎場に送ることにした。
iPhoneの画面を開くと、今日も結婚のニュースはにぎわっていて、それをスライドして、ポチポチと弔電の文章を打つ(「お返し、お返事不要…」)、その片手間感が私にはきつくて、令和生まれの人間には起こらない感情なのだろう。
芝居を一緒にやることは、現実の距離をおかしくする。
いっしゅんでもそのひとの人生をまるごと預かり、こちらの中身をごっそり預けることになるからだと思う。親しみとはちがい。
カフェにて、以前100個書き出したコーピングリストをめくってみる。
「カフェにいく(もう来てる)」「ウォーキングをする(してきた)」「手帳にマステを貼る(もう貼った)」「イチローならどうするか考える(えっっっ!?)」
「海に行く」
(行こう)
自転車をこいで海にでかけ、ハンバーガーを食べた。
朝、上着を着ていないなんてあんただけだよと娘に苦言を呈したけれど、半袖の娘は正解だ。
波はテトラポットに勢い良くぶつかって砕け、ぐんぐんと満ちる。頭がぐわんぐわん揺れる。いい意味で。
帰り道、道を曲がろうとゆっくりハンドルを切ったところで後ろから私を追い抜こうとした自転車のおじさんに、大きな声で怒鳴られた。
「あぶねぇだろてめぇ!!フラッフラフラッフラしやがって、ふざけんなよっっっ!!!」
は?と黙って目をみはっていると、彼は続けた。
「てめえ!! 日本人じゃねえな!?」
そう言い残して、私を睨みつけながら、彼は自転車をこいで行ってしまった。
イチローならどうするのだろう。
きれいなものにふれたくて、帰宅して、詩と短歌を読んだ。
夕飯は、ししゃも、納豆、大根の味噌汁、鶏ハムとブロッコリーのサラダ、もずく酢。
娘が、給食のししゃもが大好きだと言って、そういえばうちでししゃもを出したことないなと思い。私も子どものころ、ししゃもが好きだった。
報道を知らない娘と、録画した昨日のイッテQを観る。
イモトの結婚相手を娘は美容師だと予想、石崎Dのことを「ないな」と切り捨てたので、子どもだなぁと思った。