榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

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1月8日

今回もぜんぜんあっという間じゃなく新年がやってきて、ようやく娘の3学期がはじまって、すわ、と、文化を享受、まずはなによりも先に1月1日の不毛な議論(オードリー若林がゲスト)を聴き、録画の「有吉の壁」と「みをつくし料理帖」を3話分観て、丸山宗利先生の「昆虫はすごい」を読了。気づけばせっかく一人の時間をもったというのにアウトプットをする時間はなく、測量野帳をいじるのみに終わる。

 

今年はアウトプットをしていこう、と、抱負としても書いたのだが、子どもを産んでからは毎年そのようなことばかり書いている。その前は、「生活をする」「地に足をつける」といったようなことばかり書いていた。

 

クリスマスには今年も雪の中、コテージ泊をして、サンタが娘にプレゼントを届けてくれた。キャンプ場のサンタがくれるのはいつもおまけつきの子ども雑誌で、今年はポケモンファン。次いで、家に来てくれるサンタも、今年はキャンプ場に来てくれたようで、25日の朝、デッキに、私にはシールの詰め合わせ、夫にはポケモン剣盾の完全本、娘にはすみっこぐらしのロールシールと、手芸セットが置いてあった。

ところで母娘で仲良くしている娘の友だちがクリスマス後に遊びに来て、その子の家はいつも欲しいものを家族みんなサンタに手紙にするらしく、彼女はSwitchを、お母さんは猫かライザップの会員券、お父さんはテニスのウエアかラケットを書いて、クリスマスの朝に置いてあったものは、Switchと、痩せる緑茶と、誰の手のサイズにも合わない手袋だったそうで、娘とその子は「サンタさんてけっこうあわてんぼうだよねー」などと頷きあっていた。

 

お正月には父と妹の一家と中華料理屋に集った。

私が父にビールを伺うと、妹に「お姉ちゃんは甘い!!」と言われた。父は妹の手前か、グラスビール一杯で通した。

今年は父は孫たちにちゃんとお年玉を配り、かつお店のお代も支払ってくれた。

妹にはもう少し会いたいけれど、甥っこの試験が終わらないことにはどうにもならない。別れ際、「前期で決まれば、2月に会えるね」と言うと「決めてくれなきゃ困る!!」とコタツでTV観ながらゲラゲラ笑っている長男を一瞥した。

 

猫は、よく食べるのはいいのだけれど、1日10回以上ウンチをする。おまけに珍しく粗相などもして、粗相をするのは決まってみんなが寝静まる深夜だけで、目が悪くなっているのか、トイレのある場所が寒いのか。うちの猫は縄張りを主張したいときにあちこちにウンチをする時期があるのだけれど、先日夜中に外でさかっている猫たちがいたので、そういう理由なのか、わからない。今年で14歳になるおじいちゃんだものなぁとなでていると、台所の調理場にジャンプしてつまみ食いなどをしているので、油断ならない。

 

 

30日には毎年恒例、イトコ夫妻を乗せて、千葉の田舎に物資を調達しに行った。

そこかしこ、未だ屋根はブルーシートで、お寺の屋根も一部ブルーシートがかぶっていた。お墓は無事で、道の駅も、規模は縮小していたけれど再開されていた。売り上げの一部が義援金になるというクッキーをバイト先のお土産に2箱買った。

 

田舎で購入した水仙を持って、年明け、母の墓参りに。

終えて帰ろうとしてたころで、久々に出先で強い腹痛にみまわれたので、もう少しいろ、と言われているのか、それとも、のどが乾いたという娘のためにコンビニに寄っていけと言っているのか。

母は居て、私は相変わらず呪いのようなものをかけられている。

 

初詣や墓参りで、願い事をしてはいけないという。

それでも私は毎度願い事をしてきた。

今年は、願い事はしなかった。

願うことに疲れてしまっているからだ。

PCを立ち上げることにも疲れていて、手帳のデコばかりして、このまま、ブログはやめてしまおうかしらんと頭をよぎったけれど、日常が帰ってくればこのように、またここで綴っている。なぜだろう。

 

今日の昼ご飯は、手羽中と春菊とセロリのスープと、厚切りトースト。

夕飯はカリフラワーとひき肉のオイスターソース炒めなど。