榛原誌

榛原たちの湘南暮らし/お仕事の依頼はtoriko.haibara@gmail.comまで

シナリオを担当したパズルゲーム 「ハローキティとまほうのおもいで」がリリース!




9月6日

朝起きてiPhoneを開くと、北海道で震度7の地震が起きたというニュース。

北海道全域で停電とのこと。

大阪の台風被害につづき、なんということだろう。

 

一階に降りていくと、娘に良い知らせがあったとかで、彼女は小躍りしていた。

私もわーっとうれしくなったが、北海道のことで胸のあたりがザラザラする。

 

娘の今日の登校荷物は、ランドセル、教科書とノート、筆記具、夏休み中に借りていた本2冊。

 

一人になった後気を取り直そうと、録画していたお笑い番組の、好きなところだけを何本も見て、笑い、よし、洗濯物を干そうと立ち上がって歩く目の端に、スジエビのちょろちゃんが水槽内でふわっと浮いたように見える。

え、と振り向き、水槽に駆け寄る。前もこんなことが水換えの後にあって、そのとき白っぽく横たわっていたそれは脱皮の抜け殻だったから、今回もと思いきや、ちょろ本体であった。スケルトンボディのちょろの中身が白くなっていた。前にネットでスジエビを調べていたときに、死ぬと白くなると書いてあったのを見て、その通りだった。

私は、ああと叫んで、ちょろの名前を叫び、水槽を叩いていた。波紋に少し揺れるだけで、石にかえられてしまったように、動かなかった。

 

下校時、娘を校門まで迎えに行き、いっしょに帰りながら、ちょろが死んだことを伝える。塾に行く前に庭に埋めてあげよう、と言うと、娘はちょっと考えてから「花壇用の札に、ちょろのおはかって書いてさしてもいーい?」と聞いてきた。もちろん、と答えながら、悲しむ様子もなく、むしろ札に字を書くことを楽しんでいる娘をいぶかしんで見ていた。

白くなったちょろを、めちゃくちゃ不気味がって嫌がりながら、娘は庭に運んで埋め、札をさっさとさして、水槽のエアレーションを止めると、さあいこう!と塾に向かった。

全然泣かないどころか、サイコ…?と思いながら、ああそうだと思って、リレーの選手、どうなった?と聞くと、娘はパッと顔を明るくして拳を天に突き立てた。

2人だけは決まっていて、あとの2人を決めるために、同タイムの3人を走らせたそうで、娘はその2位、つまり4人中の4番目として、ギリギリで選手になれたのだという。

わー!おめでとう、やったね!!と盛り上がる。

胸には喜びと、懐かしさが広がる。私自身は徒競走万年ビリだったが、妹はいつもリレーの選手だった。リレーの選手の身内を応援することは、私にとっての運動会の風景のひとつだ。

 

それから今日は、友人の子の誕生日だと知って、週末ふたりでカードを書いて贈ろう、と楽しい計画をたてた。

 

塾から帰った娘は、ようやく念願の、漢字の勉強に入ってご機嫌だった。

ずっと漢字やりたいって言ってたもんねぇ、よかったねぇと言って、やることやってお風呂入ったらゲームする〜と浮かれている娘を一階に残し、二階で仕事をしていると、とつぜん娘の号泣が聞こえてきた。

また、どこかに頭でもぶつけたのかな、と降りていくと、バスタオルを両手に抱えた娘が、水槽の前で「ちょろが死んだよぉぉぉぉ!ちょろちゃんが死んだよぉぉぉぉ!」と慟哭していた。

え、なんで、このタイミング、と戸惑いつつも、娘を抱きしめて、背中をさする。そうか、リレーの選手になったことや漢字の勉強の興奮もおさまって、やることを全部やって、水槽が目に入って、ようやく、死と不在が、つながったのか。

自由研究でちょろの観察記をつけていた娘のまとめには、「飼っているうちに、どんどんしりたいことがふえました。これからも、ちょろちゃんを大切に育てていきたいです」と結ばれていた。しりたいこと、の中には、「ちょろはどのくらい生きるのか」も入っていた。飼いはじめてから、丁度一ヶ月だった。

 

寝る前に、娘はマンガを、私は宮部みゆきの「あんじゅう」の中に収録されている表題作を読んでいた。人ではない黒いものと老夫婦のあたたかい交流、しかしそれは、人とふれあうと弱り小さくなっていくのだとわかる。愛しさ故に、離れなくてはならないが、離れたくない。どんどん小さくなって弱まるそれの物語を読みながら、私はボロボロ泣いた。読み終えても、だらだらと涙は流れ出続けた。ちょろのかわいかった仕草ばかりが思い起こされる。名前の由来のチョロチョロと動く足は、泳ぐための腹肢(ふくし)というのだ。ああ、私もようやく泣いた、と思った。

 

悲喜こもごも、感情が揺さぶられすぎたせいか、腹が下りつづけ、トイレに何度も駆け込んで、スイッチがバツンと切れたように、眠った。