榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

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4月13日・14日・15日

4月13日

娘を習い事に送り、その合間に猫を見舞いに行く。
担当医は明るい顔で出迎えてくれた。

数値は測っていないが、見てわかるぐらいに黄疸がひいてきたとのこと。

しかも今日はシリンジでごはんをあげようとしたら自分から食べに行き、かつ皿にもってあげたスープも完食した、とのこと。「どうやら昨日がピークだったみたいです」

檻の中の猫は、先生が言う通り、白さが戻ってきていた。檻を開けてやると、先生にひと唸りしたが、すぐに膝に乗ってきて、頭をすりつけてくる。先生が「うれしいんだね」とやさしい声をかける。どうにか薬が効いてくれて、外科医の先生の見立ても、手術しなくて良さそうだとのこと。明日のエコーと血液検査の結果次第ではあるが、このまま退院はできそうだ。今日はブラシを持ってきていたので、毛をブラッシングし、1時間ほどで面会を終え、軽い足取りで娘を迎えに行く。

 

4月14日

夫と娘が市の施設に卓球をしに行き、お昼ご飯に海沿いでハンバーガーを食べ、注文していた本棚を取りに行って、娘用の巨大な本棚を設置した。

夫が幼稚園の父親飲み会に行き、私と娘はどうぶつ病院へ、猫を迎えに行く。

血液検査の結果は、平常値よりは若干高いが、入院時よりはぐっと数値が下がっていた(ピーク時のビリルビンの値は凄まじかった)。

そして胆嚢のエコーの写真は、入院時にあった胆嚢内のモヤモヤも、ここ数年あった胆石と思われる白い影も、キレイになにもかもなくなっていたのだ。

炎症のせいか、胆嚢の壁が盛り上がって腫れているので、まだ通院して治療を続ける必要はあるけれど、とりあえず、危機は脱したといっていいのではないかと思います、たぶん胆石がなにかの拍子で落ちて流れが悪くなったか、胆嚢内で石が崩れ、泥状のものになって流れなくなったかで胆嚢と胆管に炎症がおきて、同時に肝臓も炎症が起こったのだろう、とのこと。

皮下点滴をするために毎日通院できるか聞かれ、できるだけ来られるよう勤めたいと思う旨伝える。

猫に、よかったね〜と甘い声を出していた娘は、料金の支払い時に、「じゅっ11万!?たっかー!!」と大声を出したので、慌てて静かにするようにたしなめる。

 

猫は帰宅すると、まずごはんを少し食べて、思い切りソファーで爪をとぎ、ありとあらゆる自分のお気に入りの場所に少しずつ座って、最終的にベッドの中で私にくっついている娘を押しのけて私にくっついて甘えた後は、娘のベッドにうつって、自分のベッドだといわんばかりにのびのびと眠った。

 

4月15日

幼稚園の父親の会は、はたから見て部活のようであったので、集まりがなくなって寂しがる父親たちは、同窓会での出し物の打ち合わせをした後、早速夏に向けて、グループキャンプに行く話で盛り上がったようだ(そして全員酒を飲み過ぎる)。

 

ひどい風で、鎌倉の流鏑馬はほんとうに行われたのかしらん、と思いながら、予約していたコストコに、冬タイヤから夏タイヤの組み替えに行く。

コストコはひどい混雑で、まず駐車場に入るのに並び、駐車場に入ってからも進まず、フードコーナーの列は溢れかえり、帰り、周辺の道路も混雑。

どっと疲れながら、帰宅し、猫を連れて夫にどうぶつ病院に行ってもらう。こちらもひどい渋滞、おまけにどうぶつ病院は大混雑で1時間も待ったらしい。今日はそういう日なのだろうか。

猫はすっかり慣れたのか、家に帰れるとわかっているのか、キャリーの中で、爆睡して、点滴中もおとなしかったそう。

4月11日・12日

4月11日

入院している猫の面会に娘と出向く。

怒っているらしいことは聞いていたが、檻の中で、首にカラーを巻き、点滴につながられた猫は見た事もないほど激怒していた。

片頬を地面に押し付けて逆立ちし、後ろ足で檻の壁を蹴って咆哮していた。このような動物の形は彫り物でしか見た事がない。いくら話しかけても、興奮状態が収まらず、触ることも出来なかった。娘はあまりの恐ろしさに涙目になって後ずさっていた。食事は一切口にせず、体重は点滴で3.1kgまで回復、熱も1℃下がったとのこと。ただし黄疸が進み、腹側の毛と手足、耳が黄色くなっている。

「ズートピア」のオッタートンさんみたいだったね、と言い合いながら、しょんぼりと帰る。

 

4月12日

どうぶつ病院より入電。

急変か、と思いきや、担当医が午後は席を外すので、血液検査の結果を電話してくれたのだった。

肝臓の数値は良くなっている一方、黄疸がかなり悪化。明日外科医と相談することになるが、胆嚢の手術をする意向の有無を聞かれる。もしも外科医が今すぐに手術のできる病院にうつさなくてはならないと言ったら、入院先からすぐに搬送されるからだそうだ。

ごはんを食べられていないので、体力的に手術はどうなんでしょう、全身麻酔を入れてそのまま目を覚まさない、という可能性はどのくらいあるんでしょうか、とたずねるも、何%ということは言えない、ただそのリスクは充分にあります、との答え。

できれば今回は内科的治療で、体力をつけさせてから改めて手術という形が希望です、と答える。ただし、今すぐ手術をしなければ危ないが、治る見込みがあるというのであれば、お願いします、と付け加え、電話を切った。

夫に、そういうやり取りがあったことを報告しながら、家で看取ってあげたいけど、ずっと苦しんだ末に胆嚢が破裂して腹膜炎になって激痛で死んでいくよりは、手術の全身麻酔で逝くほうがいい気がするのだけれど、あんなに病院が怖くて嫌いなのに、最後怖がったまま死んで行くのかとおもうとどうなのだろう、と送る。夫は、苦しみが長引かないほうがいいと思うから手術に賛成だ、という意見だった。

 

1人で猫の面会に赴く。白い長毛種なはずの猫は、驚くほど黄色かった。和芥子を腹側にべったり塗ったのか、という黄色さ。黄色い汗が腹を染めているのだろう。尿も、どろりとした和芥子そのものだった。

猫は少し唸ったが、話しかけると鼻をひくつかせて私だと気づいた模様、2人きりになると、椅子に座る私の膝に降りてきた。そこから、置いてあるキャリーの匂いを嗅いで、ちょいちょいと触ろうとし、私にニャアと鳴く。帰りたいのだ。なででやると、白い毛の間から、クレヨンで塗りたくったような、黄色い肌が見える。

1時間ほどなでていると、満足したのか、帰れないことを悟ったのか、檻の中に自分で戻って行き、香箱座りをした。

今日は口の中に何度か注射器で強制給餌されたが、吐き戻しはなかったそうだ。熱も平熱まで下がっている。がんばってごはんをたべて、体力をつけるんだよ、ごはんをたべると、おうちに帰れるよ、がんばって、と声をかけ、檻の扉を閉めた。檻の扉を閉める音は、とても重たい。

4月10日

春が来て、花粉症の薬のせいなのか、それともただ、春というもののせいなのか、毎日眠気とだるさがひどい。

それなのに物事はものすごいスピードで進んで行くので、ついていくのが精一杯。

3月末、預かり保育の最終日を迎え、娘の胃の調子がまる1週間かけてようやく整って、初めての民間学童、入学式、初めてのおつかい、初めてのSUICAで電車に乗車などなど元気いっぱいにコマを進めていく一方、今度は12歳になったばかりの猫が激しく嘔吐し始める。吐くものがすっかりなくなって丸くなっている猫に、娘が「わかるよ、そのきもち…」と声をかけていた。

 

一度は回復してパテ状の餌を食べ始めた猫だったが、やはり再び激しく嘔吐して絶飲食してしまったので、どうぶつ病院に連れて行く。

血液検査とレントゲンの結果、胆嚢に炎症があり、胆管が太く広がっているせいで胆汁が出過ぎていて気持ちが悪いのであろう、とのこと、胆嚢がやられているせいで、肝臓の数値も悪く、腫れ上がっている。黄疸が出ていて、採った血液も黄色かったとのこと。

発熱していて42℃。体重は2.9kg。ついこの前、3.5kgまで増えていたのに。

抗生物質とステロイドを投与、静脈に24時間点滴するために、土曜日まで入院することとなった。見積もり額は、11万円。

 

気分転換に、夜中、撮り溜めていた昔のドラマ「鈴木先生」の2話から5話までを一気に見た。それで生徒たちのことばかり考えながら、床に入った。