榛原誌

榛原トリコ・夜・芯etc…榛原たちの湘南暮らし

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2月4日〜27日

23日分といえば3週間とちょっとだ。 2月が28日しかないかと思うと、ほぼ1ヶ月。

着物レンタル屋さんのアルバイトに精を出し、そのサイクルになれる1ヶ月だった気がする。

 

先日父が危篤になった。

そういったわけだから書けなかったのだということではない。

つい一昨日のことで、父の住むマンションのエレベーター内で倒れているところを、住人が見つけて救急車を呼んでくれたのだ。

妹が連絡を受けたのは23時を過ぎていて私は寝ていて、ふと2時頃に目が覚めて、iPhoneを見てみると、連絡が入っていたのに気がついた。連絡すると妹はまだ病院にいて、私たちは1時間半ばかりメッセージのやりとりをした。「お父さんまだ危篤なの?」「まだ危篤ってw」というやり取りをするほどに私たちはもう危篤慣れをしている。

 

今回父が倒れた原因は不明、発見された時には血圧が上が70、呼吸数も少ないという、いわゆる危篤状態だったそうで、蘇生措置を取ってもいいですか、と救急隊に尋ねられた妹は、あ 、姉に相談を、と言って私に電話をかけてくれたそうなのだが、私が電話に出なかったので、お願いしますと言ったらしい。

「救急で蘇生措置、やらなくていいですっていう人いるのかな」

「まぁ状態にもよるし、いろんな考え方の人がいるし」

 

日頃ちょいちょいメールで生存確認をしていた妹によれば、少し前に、微熱が続いていると言っていたらしい。ウィルスに感染して腎臓病が急激に悪化しているのかもしれないということで詳しく調べるそうだったが、結局その日妹が家に帰れたのは5時頃で、妹は仮眠を取って会社に向かった。

血圧が安定した今は、ICUで人工呼吸器をつけていて、検査のために麻酔で眠らせているらしい。その状態で2週間、その後回復次第病棟に移されるらしい。

とにかく、脳外科手術の退院から 1ヶ月ばかりで、父の入院生活は再開した。ウイルスが悪さをしているのかもしれないと、新しい病院の先生方はあれこれ調べて下さっているが、倒れたのはきっとまた不摂生と贅沢病と酒の飲み過ぎが引き金だろうと我々はにらんでいる。

父は私たちに信用がない。

 

鎌倉でアルバイトをするようになって、友達に会う機会が増えた。

同じくアルバイト終わりのママ友とお茶をしたり、鎌倉に住んでいる友達とばったり出くわしたり。鎌倉が、特別な街じゃなく、自分の足跡がついていた町になりつつある。

アルバイトはとても楽しい。でも、あまり楽しくなりすぎてもいけない。

でくわした友だちに、「また、ずいぶんとちがう仕事をはじめたんだね」と言われて、私的には腰掛けのつもりだったのだけれど、転職のように捉えられるのか、と小さく驚く。しかし値するほどアルバイトはとにかく楽しいので、危険だ。なにしろバイト先では若いお嬢さんや外国の方々のだれもかれもが、我々の(私の)サービスで、うれしそうにお店を出て行く。

一方では、コンペに2つも落選だ。必要とされ方の度合いの落差がすごい。

しかしそのあと、また1つコンペに応募した。

いま、私の折れそうな心を支えているのは、やなせたかし氏がデビューした年齢だけだ。

 

家族は元気だ(どこまでを家族というのか、ここでいう家族とはいっしょに住んでいる家族のこと)。

娘は1回吐いたし、夫はまた階段から落ちたし、猫の体重も増えないし、私は花粉症の薬を投与しはじめ目にはステロイドの点眼をしているが、安定しているようにおもう。そのことが救いだ。確定申告も終わった。家の中は散らかっていてひどい有様だが、それはもう非常にスッキリとした気分だ。

 

書かなくても楽しく生活しているけど、書かないと、個体として生きてる感覚がうすい、でもそれって慣れの問題なのかな、など、思いつつ、あんま考えすぎず、なんとか書く時間をうまいこと確保しないとなと思っている。