今週のお題「私の癒し」 肌触感
今週のお題「私の癒やし」
子どもを産む直前の日記に、とつぜん襲って来る不安の波を感知した猫が寝床に入ってきてくれて、そのあたたかなやわらかいものをなでながら、子どもより猫のほうがかわいいであろうな、と思ったことを記していた。
実際どうであったかというと、産んでからしばらくは、やはり、猫のほうが可愛いのであった。ただ、可愛いというのとは別に、赤ん坊を抱くというのは、ふつふつとしたえもいわれぬ喜びがあった。
絵画やTVCMなどで、赤ん坊を抱いている母親像というものは、やさしくゆったりとして、見るからに癒し、と表現されるものだが、現実は慌ただしく、焦ってばかりで、癒しとはほど遠いところに赤ん坊は存在していた。
猫を布団の中に抱いて寝ていたほうが、よほど安心できたし、癒されもした。
変化が起きたのは、娘が歩き出してからだった。
筋肉がつきはじめたのだろうか、それまでは、私のぶよぶよとした二の腕の延長のような娘の肉が、プリプリしはじめたのだった。
くわえて、皮膚科にて、超敏感肌だからケアをするようにと通達をうけ、もらったクリームを朝に夕にとせっせと塗りたくるうち、娘の肌は、プリプリのうえにつるつるになったのだった。それが、プリプリと、ママーといって、くっついてきたり、のっかってきたり、風呂場でペッタリしてきたりするのだ。
つるつるのプリプリが、肌にくっついてくるという、新触感。
そのきもちのよさは、他に例えようもないのだった。それでももし例えるとするならば、それは葛だと私は思う。葛まんじゅうの葛。
今まで最高だと思っていた猫及びどうぶつたちの、もふもふとした触感に、私は大した価値を見いだせなくなった。毛が邪魔だとすら思うように。
子育てをしながら働くことは、今までと違った形のストレスがかかるが、知らなかった癒しももたらしてくれた。
小学生になれば、彼女は私と精神的、物理的な距離をとっていく。
そしてストレスは減る一方で、つるつるのブリブリは堪能できなくなる。
そして違う形のストレスが生まれた時、私はつるつるのプリプリを知らなかった頃の癒し方で、満足することができるのだろうか。それともまだ知らない癒し方に出会っていくのだろうか。
今はこのつるつるのプリプリによってもたらされる刹那的な癒しを、レンゲの花の蜜を吸っていたときのように、集中して、全身で甘受している。どうかずっと私がこの触感をおぼえていますようにと思いながら。